- ホーム
- 小斎伝統「奉射祭(やぶさめ)」
奉射祭(やぶさめ)の由来
明治10年に書かれた「鹿島神社御祭典奉射祭由来」によりますと、寛永20年(1643)小斎佐藤家4代領主清信公(30歳)が初めて奉射祭を行わせ、その後慶応4年(明治元年)13代恒信公の代まで
224年続いて行われました。
明治維新を迎え、「徳川公の天下大いに乱れ、武将大いにおとろえ」たので、明治9年まで中断し、明治10年に復活したことが記録されています。
その後、平成3年に復活されるまで、戦争等の事情により、何度かの中止と復活を繰り返しました。
奉射祭の内容と次第
奉射祭は、「旧正月15日より市12人と別当とが2夜3日に及ぶ精進潔斎をし、17日辰の上刻(午前7時)白装束の神主が直径1.6メートルの御神的に目隠しをして12本の矢を射て1年の天候を占う御神的神事から始め、大的射礼、かりがねの的射礼」が行われました。
奉射祭のねらいは、年頭に当って1年間の天候を占い、五穀豊穣と地区内の安全を祈願するとともに、武術の練磨及び精神鍛錬を目的としたものです。